礼拝案内

日曜日 10:30~11:45 2階礼拝堂

礼拝では、讃美歌を歌い、聖書を読み、祈りをささげ、牧師の「説教」を聴くことが主たる内容です。「説教」と言いますが「お説教」ではなく、聖書をまんべんなく読むための「教会暦」に従った聖書の箇所から、牧師が「今の時代に生きる我々への神様からの語りかけだと理解するところ(メッセージ)」を話します。 そのメッセージの要旨を、まだ教会に来られたことのない方にも読んでいただいて、こんな話をしているのかと関心を持っていただけたらと思い、紹介させて頂きます。 この「説教要旨」をお読みになられて、天満教会に行ってみようと思ってくださると有難いです。ぜひご感想を携えて天満教会をお訪ねください。

 

説教要旨

 

2025年11月2日

- 降誕前第8主日礼拝 / 召天者記念日 -

説教『わたしたちは主のもの』

説教者  小西 望牧師

聖書 マルコによる福音書12章13~17節 ローマの信徒への手紙14章7~9節

 

16世紀のドイツで編まれたハイデルベルグ信仰問答は、その第一で“生きるにも死ぬにも…ただ一つの慰めは何ですか”と問い、“わたしがわたし自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主イエス・キリストのものであることです”と答えています。

“わたしはわたし自身のものではないか”と、違和感を覚えられるでしょうか。アメリカ奴隷制度の問題を扱ったH.B.ストウの小説『アンクル・トムの小屋』には、“お前の身も魂も俺のものだ”と鞭打つ主人に、トムが“いいえ。体はあなたのものかもしれませんが、魂は違います。魂は神さまのものです。どなたにも買われていません。”と応える場面があります。その抱えもつ破れ・罪にもかかわらずこの私が真実なる方に覚えられ帰属するのだとの確信が、世の権力さらには死の縄目からも私たちを解放するのです。

占領国ローマ帝国への納税の可否を問われたとき、主イエスはローマの銀貨を取り上げて17「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と答えられました。この答には鋭くかつ深い問いが含まれています。では皇帝は税・財産・、領土と人々…どこまでを所有するのか、そもそも私たちは誰に帰属するのかを問うものであるからです。

主イエスは私たちを訊ね求めて天から地に、さらには十字架の死へと降られ、私たちを復活の勝利へと結び合わされました。ゆえに8「生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のもの」なのです。ここに私たちの基盤と慰めがあります。

 

 

2025年11月9日

- 降誕前第7主日礼拝 -

説教『ともし火を信頼して』

説教者  小西 望牧師

聖書 エレミヤ書1章9~13節 ルカによる福音書8章16~18節

讃美歌 17・507・528

 

ご不明な点は、お気軽に教会までお問い合わせください。