礼拝案内

日曜日 10:30~11:45 2階礼拝堂

礼拝では、讃美歌を歌い、聖書を読み、祈りをささげ、牧師の「説教」を聴くことが主たる内容です。「説教」と言いますが「お説教」ではなく、聖書をまんべんなく読むための「教会暦」に従った聖書の箇所から、牧師が「今の時代に生きる我々への神様からの語りかけだと理解するところ(メッセージ)」を話します。 そのメッセージの要旨を、まだ教会に来られたことのない方にも読んでいただいて、こんな話をしているのかと関心を持っていただけたらと思い、紹介させて頂きます。 この「説教要旨」をお読みになられて、天満教会に行ってみようと思ってくださると有難いです。ぜひご感想を携えて天満教会をお訪ねください。

 

説教要旨

 

2024年4月21日

- 復活節第4主日 -

説教『全き人であった』

説教者  小西 望 牧師

聖書 創世記6章9~14・22節 マルコによる福音書3章20~30節

 

 

「あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。…そこでお目にかかれる。」(16:7)とのマルコ福音書が告げる復活のメッセージに導かれ、主イエスのガリラヤ宣教をもう一度辿っています。

ガリラヤで宣教を始められた主イエスのもとには大勢の人、殊に病人や悪霊に取りつかれた人(1:32)、罪人とレッテルを貼られた人々(2:16)が癒しまた赦しを求めて集まってきました。一方、それを快く思わない者たちは主イエスを激しく批判しました。主イエスはそうした者たちを23「呼び寄せ」られた上で、28「人の…罪や…冒涜の言葉も、すべて赦される」と神の大いなる憐れみと赦しを宣言されたのです。

では続けて語られた29「聖霊を冒涜する者は永遠に赦され」ない、とはどういうことなのでしょう。29「聖霊」とは神の生ける働きです。その神の赦しと招きの実現のため主イエスはこの世界に来られ、十字架で犠牲となり、復活を遂げられました。29「聖霊を冒涜する」とは、この招きを不必要だとして拒絶することです。私たちは、そしてこの世はそれほど立派で大丈夫なのでしょうか。

ノアは9「全き人であった」(口語訳)と記されます。彼は立派で欠けのない人格者で、だから洪水を逃れ得たのでしょうか。でも後の9:21では、酒に酔って醜態を晒してもいます。聖書の言う“全き”“完全”とは助けなしに自立できることではなく、9「神と共に歩」むことを指しています(フィリピ3:12~15)。

エゼキエル18章で、神は人間の罪を厳しく指摘しつつなお「どうしてお前たちは死んでよいだろうか。わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ。」(31~32節)と呼びかけておられます。この招きに応え、神と共に、隣人と共に歩む道を進みゆきましょう。

 

 

 

2024年4月28日

- 復活節第5主日 -

説教『平和の福音に養われ、共々に分かち合おう』

説教者  小西 望 牧師

聖書 使徒言行録20章17~24節 エフェソの信徒への手紙2章14~22節

讃美歌 487・390・467

 

 

ご不明な点は、お気軽に教会までお問い合わせください。