礼拝案内
日曜日 10:30~11:45 2階礼拝堂
礼拝では、讃美歌を歌い、聖書を読み、祈りをささげ、牧師の「説教」を聴くことが主たる内容です。「説教」と言いますが「お説教」ではなく、聖書をまんべんなく読むための「教会暦」に従った聖書の箇所から、牧師が「今の時代に生きる我々への神様からの語りかけだと理解するところ(メッセージ)」を話します。 そのメッセージの要旨を、まだ教会に来られたことのない方にも読んでいただいて、こんな話をしているのかと関心を持っていただけたらと思い、紹介させて頂きます。 この「説教要旨」をお読みになられて、天満教会に行ってみようと思ってくださると有難いです。ぜひご感想を携えて天満教会をお訪ねください。
説教要旨
2026年3月1日
- 受難節第2主日 -
説教『まことの権威』
説教者 小西 望牧師
聖書 ルカによる福音書20章1~8節 フィリピの信徒への手紙2章6~8節
前章19:28~で主イエスはエルサレムに入られ、十字架までの5日間をこの都で過ごされました(~22:6)。
その間エルサレム神殿の境内で民衆に教えておられた主イエスに対し、祭司長・律法学者・長老たちは、2「何の権威でこのようなことをしているのか」と問いました。彼らはユダヤ教・社会の指導者としてそれぞれ選任を受けた者たちであり、それに比してお前は何だと詰問したのです。が、主イエスの4「ヨハネの洗礼は、天からのものだったか、それとも、人からのものだったか」との反問に対し、人間的な打算しか示すことができず、彼らの2「権威」はたちまち色あせたのでした。
2「権威」との原語は、面白いことに“自由”と訳すこともできます。H.C.アンデルセンの“裸の王様”では、王様も家来も人々も体面を気にして口をつぐむ中、真実の口火を切ったのは子どもでした。立場を纏うがゆえの不自由、いっぽう自由な者こそ真実に近づけるとのメッセージがここには託されています。
主イエスの権威は、何ものにも囚われない自由な方でありながら、世と生きる者を愛するがゆえに自ら十字架へと歩まれたことに示されています(22:39~、フィリピ2:6~)。でもその主の権威は、人々にもまた弟子たちにもこのとき見えていませんでした。
私たちは何を信頼し、何を尊いこととして歩むのでしょう。主イエスは「人の命は財産によってどうすることもできない」(12:15)と教えられました。命の重さは、財産や地位によって計ることはできず、また能力や評価によっても計り得ません。神から与えられた命はそれ自らが尊さと重さを湛えており、主イエスは人々の命のあるべき祝福のために、十字架へと進まれたのでした。まことの権威に私たちの目を向け、歩み行きたく願います。
2026年3月8日
- 受難節第3主日 -
説教『まことの聖なる庭』
説教者 小西 望牧師
聖書 イザヤ書56章3~7節 ルカによる福音書19章45~48節
讃美歌 148・578・407
ご不明な点は、お気軽に教会までお問い合わせください。

