礼拝案内
日曜日 10:30~11:45 2階礼拝堂
礼拝では、讃美歌を歌い、聖書を読み、祈りをささげ、牧師の「説教」を聴くことが主たる内容です。「説教」と言いますが「お説教」ではなく、聖書をまんべんなく読むための「教会暦」に従った聖書の箇所から、牧師が「今の時代に生きる我々への神様からの語りかけだと理解するところ(メッセージ)」を話します。 そのメッセージの要旨を、まだ教会に来られたことのない方にも読んでいただいて、こんな話をしているのかと関心を持っていただけたらと思い、紹介させて頂きます。 この「説教要旨」をお読みになられて、天満教会に行ってみようと思ってくださると有難いです。ぜひご感想を携えて天満教会をお訪ねください。
説 教 要 旨
2026年10月18日
ー 聖霊降臨節第22主日 ー
説教「幸いな 人と呼ばれる 人々は」
説教者 春名 康範 牧師
聖書 マタイによる福音書 5章1~12節
「幸いな人」はギリシャ語本文ではマカリオイで「祝福されている人」です。3節の「心の貧しい人々」はホイ・プトーコイ・トウ・プニウマティで「息が乏しい人」で死にかけている人。「天の国はその人たちのものである」と続きます。死んだら天国に迎えられて、辛い事ばかり起こる人生から解放されるという事。4節の「悲しむ人々」は愛する人が死んで悲しんでいる人で、死は永遠の別れではなく天国で再会できるという慰め。5節の「柔和な人は」は原文では「意気地のない人は幸いである」という意味で6節の「義に飢え渇く人々」は「冤罪で苦しめられている人々」、7節の「憐れみ深い人々」は理解できます。8節の「心の清い人々」は神様にしか望みを置けなくなった人々、9節の「平和を実現する人々」は戦争に反対し対話によって共に生きる平和を守ろうとする人々、10節の「義のために迫害される人々」は「義」が礼拝を捧げることを意味し神様を信じて礼拝を守りみ旨と信じることを励むこと、11節の「身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである」は理解できません。
1997年5月に「新潟NGO朝鮮民主主義人民共和国子ども支援連絡会」を立ち上げ、新潟の農家の人々と全国のキリスト教学校のご協力を得てお米を集め食糧支援を始めました。最終的に8年間で1300トンのお米を新潟港から北朝鮮の万景峯号で元山に送り、私も2回北朝鮮に行きました。私達は飢えている子供達を助けようとこの運動を始め、新潟の農家の人と一緒に北朝鮮を訪問して幼稚園や保育園にお米を届けました。ところが、日本では「春名が自分の名前で送っている」とデマが流れました。
私は、長い間「下痢」に苦しめられました。本当に辛くて、腹が立って、神様に文句を言いました。「神様、私が御用のためにこんなに頑張っているのに貴方は何もして下さいません。牧師を辞めますよ」すると声が聞こえて来たのです。「春名、お前がよくやっていることは知っているよ。だからこうしてお前と一緒に苦しんでいるんだ」。真夜中のトイレでのことでした。私は体が硬直して感動しました。それで「福音」のことをギリシャ語ではユーアゲリオンと言うのか。英語だとYou are gerion(お前は下痢中だね)と笑ってしまいました。
「幸い」はギリシャ語ではマカリオスで「祝福されている」という意味で、ヘブライ語ではアシェレーで「関りがある、祝福されている」という意味で、天地の創造主と繋がっているという意味です。

