礼拝案内

日曜日 10:30~11:45 2階礼拝堂

礼拝では、讃美歌を歌い、聖書を読み、祈りをささげ、牧師の「説教」を聴くことが主たる内容です。「説教」と言いますが「お説教」ではなく、聖書をまんべんなく読むための「教会暦」に従った聖書の箇所から、牧師が「今の時代に生きる我々への神様からの語りかけだと理解するところ(メッセージ)」を話します。 そのメッセージの要旨を、まだ教会に来られたことのない方にも読んでいただいて、こんな話をしているのかと関心を持っていただけたらと思い、紹介させて頂きます。 この「説教要旨」をお読みになられて、天満教会に行ってみようと思ってくださると有難いです。ぜひご感想を携えて天満教会をお訪ねください。

 

説教要旨

 

2026年2月22日

-  受難節第1主日 -

説教『わたしの業が証しする』

説教者  小西 望牧師

聖書 出エジプト記3章13~14節 ヨハネによる福音書5章31~40節

 

2026年の受難節(レント)を迎えました。主イエスの十字架を描いた絵画の中でも、16世紀ドイツの画家M.グリューネヴァルトによるイーゼンハイム祭壇画は、主が凄惨な死を引き受けられたことを強烈に訴えます。そして十字架上で息を引き取られた主イエスの右側には、洗礼者ヨハネが「あの方は栄え、わたしは衰えなければならない」(3:30)との言葉と共に描かれています。ヨハネは主イエスより先に殉教しましたから(マタイ14:1~)この場にいた筈はないのですが、彼が指し示し続けた主イエスの33「真理」はここにこそあることを伝えるべく、画家は彼を登場させたのでしょう。

しかし、主イエスが神から来た証拠を示せとユダヤ人に迫られたとき、私はヨハネの証しをも必要としない、36「わたしが行っている業そのものが」証しすると言われたのでした。主イエスがなさったみ業、この福音書が「しるし」(2:11・4:54等)と記すその一つ一つは、驚きによって神を指し示しているのではありません。「神の国は近づいた」(マルコ1:15)との宣教の言葉が、病み、悲しみ、差別されている小さな一人一人にも確かに実現したそのしるしなのです。そして主イエスは、その恵みが私たちにおいても実現するために十字架へと進まれたのです。

神がモーセにご自身を顕された出エジプト3:14には、その名前が「わたしはある」という意味であると指し示されています。ここの訳出と理解は大変難しいですが、原語において原初・現在・未来のいずれにおいてもそう宣言される方であることが示唆されています。創造の原初から、今も、そして完成の将来まで神は厳然とおられ、み旨とみ業を振るわれるのです。ヨハネ福音書は、このことを「初めに言があった」(1:1)と記しました。この方は他の証明を必要としません。そしてこの方のみ旨とみ業は、主イエスを通して私たち一人一人にも届いています。

 

M.グリューネヴァルト
イーゼンハイム祭壇画

 

 

2026年3月1日

-  受難節第2主日 -

説教『まことの権威』

説教者  小西 望牧師

聖書 ルカによる福音書20章1~8節 フィリピの信徒への手紙2章6~8節

讃美歌 513・聖歌隊・403

 

 

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