礼拝案内

日曜日 10:30~11:45 2階礼拝堂

礼拝では、讃美歌を歌い、聖書を読み、祈りをささげ、牧師の「説教」を聴くことが主たる内容です。「説教」と言いますが「お説教」ではなく、聖書をまんべんなく読むための「教会暦」に従った聖書の箇所から、牧師が「今の時代に生きる我々への神様からの語りかけだと理解するところ(メッセージ)」を話します。 そのメッセージの要旨を、まだ教会に来られたことのない方にも読んでいただいて、こんな話をしているのかと関心を持っていただけたらと思い、紹介させて頂きます。 この「説教要旨」をお読みになられて、天満教会に行ってみようと思ってくださると有難いです。ぜひご感想を携えて天満教会をお訪ねください。

礼拝の様子

説教要旨

2018年8月5日 -聖霊降臨節第12主日 / 平和聖日礼拝-

説教者 春名康範牧師

説教『諦めず 求め探して 門叩け』

 聖書 マルコによる福音書10章46節~52節

 

エリコの町の道端で物乞いをしていたバルティマイが「何事か」と尋ねたら、「ナザレのイエスだ。今エリコに来られたが、出て行かれるところだ」と教えられた。バルティマイは大声で「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫び始めた。人々が黙らせようとしても益々大声で叫び続けた。イエス様は彼を呼んで「何をしてほしいのか」と聞かれ、「目が見えるようになりたいのです」と答えると見えるようにしてくださった。

この記録の前に、ヤコブとヨハネがイエス様に「何をしてほしいのか」と同じように聞かれ、彼らの願いを言うと「自分が何を願っているか、わかっていない」と言われました。彼らは、他の弟子達よりも偉い弟子に成りたいと言ったのです。バルティマイは他の人に比べて偉くなるとか、好きなようにしたいというのでなく、物乞いをする日々を止めたいと願っていたのかもしれません。目が見えるようにして頂いたら、イエス様について行ったということは、イエス様を見たかったのかもしれません。

私は、小学校の時に「漫画家になる」と言って叱られて以来、自分が何になりたいのか夢を持てませんでした。しかし、高校3年生になった時、「教会の先生と同じ仕事がしたい」と思うようになって、同志社の神学部を受験しようと思いました。担任も親も教会の神学生も「お前だけはだめ」と言いました。担任は「春名君の成績では絶対に合格しません」と太鼓判を押しました。しかし、牧師になりたいという思いは、益々強くなり、苦手な教科もチャレンジしていると、試験の当日の朝、受験会場に行く途中に覚えた英語の熟語から5つも1番の問題に出て、奇跡的に合格しました。夢を持ち、努力を重ねていると奇跡まで追いかけて来ました。

バルティマイは「行きなさい」(52節)と言われたのに、イエス様について行きました。そして目が見えるようになった彼が見たものはエルサレムの都で十字架に架けられたイエス様でした。私も、人を支える人間になりたいと思っていましたが、自分の無力さを感じて祈っていると不思議な展開が起こることを数々経験しました。同時にイエス様が今も我々人間の罪の為に十字架の苦しみを味わっておられることを悟りました。イエス様は「求めなさい」(マタイ7:7)と言われました。求め続けていると、求める内容も変化し、十字架の愛に導かれるように思います。

 

 

次週の礼拝

2018年8月19日 -聖霊降臨節第14主日-

説教『地の果てまで』 説教者 西澤献伝道師

聖書 使徒言行録 13章44節~52節

聖歌隊「主は命を」