礼拝案内

日曜日 10:30~11:45 2階礼拝堂

礼拝では、讃美歌を歌い、聖書を読み、祈りをささげ、牧師の「説教」を聴くことが主たる内容です。「説教」と言いますが「お説教」ではなく、聖書をまんべんなく読むための「教会暦」に従った聖書の箇所から、牧師が「今の時代に生きる我々への神様からの語りかけだと理解するところ(メッセージ)」を話します。 そのメッセージの要旨を、まだ教会に来られたことのない方にも読んでいただいて、こんな話をしているのかと関心を持っていただけたらと思い、紹介させて頂きます。 この「説教要旨」をお読みになられて、天満教会に行ってみようと思ってくださると有難いです。ぜひご感想を携えて天満教会をお訪ねください。

礼拝の様子

説教要旨

2018年4月22日 -復活節第4主日礼拝-

説教者 春名康範牧師

説教『手ではなく 互いに励め 足洗』

 聖書 ヨハネによる福音書13章31節~35節

 今治の沖の大崎下島に「御手洗」という港がり、「おてあらい」としか読めなかった私は驚きましたが、「みたらい」と読みます。全国に「御手洗」という姓の人もおられ、由緒ある名前だそうです。京都の下賀茂神社には「御手洗池」があります。他方、東京の大田区には「洗足池」があり、目黒区には「洗足駅」があります。それぞれに歴史があります。

イスラム教では礼拝の前に、足と耳と手を洗います。足は敷物の上で礼拝をするから、耳はみ言葉をよく聞くため、手は汚れを清めるためだと思います。聖書でもピラトが裁判との関りを避ける時に手を洗っています。「足を洗う」は日本では組織を脱退することを意味しますが、昔は宿屋に着くと土間で足を洗ってもらってから上がっていました。舗装されていない道路を草鞋で旅をしたからです。イエス様の時代も同じで、人々は裸足やサンダルで生活していましたから居間に上がるには足を洗いました。その仕事は奴隷や使用人のすることでした。それなのにイエス様は食事の席で弟子たちの足を洗われました。ペトロが辞退すると、「あなたの足を洗わなければ、あなたはわたしと何の関りもなくなる」と言われました。するとペトロは「足だけでなく手も頭も」と言いました。イエス様は弟子たちの足を洗って、「互いにこのようにしなさい」と言われました。

大阪女学院も神戸女学院も、同志社大学もICUもリベラルアーツの大学であると言われています。一般教養を身に着けて自由人として生きようという願いが教育方針にあります。しかし、関西学院大学では校歌に「マスタリー・フォー・サービス」という言葉を入れて、学校の教育方針としておられます。自由人になるのではなく仕える人(奴隷)になる訓練をする大学でありたいと願っておられるなら、イエス様の「仕える人になりなさい」のお言葉に忠実でありたいという精神です。

自分の足ではなく人の足を洗うことは、わが身をかがめて、人の汚れや失敗を批判せず赦して、尻ぬぐいをして差し上げ、立ち直る手伝いをすることを意味します。自分が自由になる為のリベラルアーツではなく、人を自由にする為の「仕えるアーツ(学問)」をすることをイエス様は求めておられます。教会の活動こそリベラルアーツではなくサーバントアーツだと考えると、礼拝も学びも奉仕も意味がはっきりとして来ます。

 

 

次週の礼拝

2018年4月29日 -復活節第5主日礼拝-

    説教『実を結べ イエスと友と つながって』 説教者 春名康範牧師

聖書 ヨハネによる福音書15章1節~17節