礼拝案内

日曜日 10:30~11:45 2階礼拝堂

礼拝では、讃美歌を歌い、聖書を読み、祈りをささげ、牧師の「説教」を聴くことが主たる内容です。「説教」と言いますが「お説教」ではなく、聖書をまんべんなく読むための「教会暦」に従った聖書の箇所から、牧師が「今の時代に生きる我々への神様からの語りかけだと理解するところ(メッセージ)」を話します。 そのメッセージの要旨を、まだ教会に来られたことのない方にも読んでいただいて、こんな話をしているのかと関心を持っていただけたらと思い、紹介させて頂きます。 この「説教要旨」をお読みになられて、天満教会に行ってみようと思ってくださると有難いです。ぜひご感想を携えて天満教会をお訪ねください。

 

 

説 教 要 旨

2026年8月9日

ー 聖霊降臨節第12主日 ー

説教「神様を信じて嵐乗り越えて」

説教者 春名 康範 牧師

聖書 マルコによる福音書 10章13〜16節

 

 「子」という漢字は◯の下に両手を広げている子どもの姿で生まれた象形文字だそうです。ギリシャ語ではパイディオンで「赤子」「幼児」という意味です。13節には「人々が子供たちを連れて来た」と書かれていますので、1人や2人ではなく何人もの人が泣いている子どもを連れて来たのでしょう。すると「弟子達がこの人々を叱った」と書かれています。婦人たちが病気の子供を抱いて来て、「助けてください」と病気を治して下さるようお願いしたのだと思います。弟子達はこんな子たちは神様のこともイエス様のことも分からない未完成の人間だから礼拝や集会に参加する資格はないと思って叱ったのだと思います。

 「神の国はこのような者たちのものである」(14節)の神の国はギリシャ語でヘ・バシレイア・トウ・セウーで、「神の支配」という意味で、災難とか不幸な出来事と思う時こそ神様が介入して下さる時だという意味です。「神は何処にいるのか」と思ってしまう災難や不幸な出来事が身に迫っている時こそ神様が介入して下さる時です。マタイ福音書5:3には「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」と書かれていますが、この「心」はギリシャ語でプネウマで息が消えかかっているという意味です。「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」(15節)は、自分の意志ではなく、自分を連れて来た人の願いによらなければ神の支配の中に入ることは出来ないという意味です。

 昨年度は淀川キリスト教病院の礼拝とこの病院を設立した母体大阪チャーチの礼拝を担当しました。すると、あちこちの教会の会員の方が館内放送を聞いてチャプレン室に来て「説教聞いていましたよ」と声を掛けてくださいました。その中に私が牧師をしていた教会の人がおられ、放送礼拝の後病室をお訪ねしたり、ご一緒にお祈りをしました。すると、祈りが聞かれて、神様が共にいて祈りを聞いてくださっていることを実感しました。

 私も子供の時に神様の救いの御手を感じました。小学校2年生の時、「良き羊飼い」の絵に出合い、2010年の夏に天満教会来たら、その「よき羊飼い」の絵が礼拝堂の正面に飾られていました。私はこの絵によって慰められ、力付けられ、今日まで生かされて来た。あの小学校2年生の貧しく寂しい日々にこの絵と出会わなければ、私の人生はなかったと思いました。