礼拝案内
日曜日 10:30~11:45 2階礼拝堂
礼拝では、讃美歌を歌い、聖書を読み、祈りをささげ、牧師の「説教」を聴くことが主たる内容です。「説教」と言いますが「お説教」ではなく、聖書をまんべんなく読むための「教会暦」に従った聖書の箇所から、牧師が「今の時代に生きる我々への神様からの語りかけだと理解するところ(メッセージ)」を話します。 そのメッセージの要旨を、まだ教会に来られたことのない方にも読んでいただいて、こんな話をしているのかと関心を持っていただけたらと思い、紹介させて頂きます。 この「説教要旨」をお読みになられて、天満教会に行ってみようと思ってくださると有難いです。ぜひご感想を携えて天満教会をお訪ねください。
奨励要旨
2025年6月15日
- 聖霊降臨節第2主日礼拝 / 子どもの日・花の日 -
説教『きゅうりやメロンが忘れられない』
説教者 小西 望牧師
聖書 民数記11章4~9節
5「きゅうりやメロン、葱や玉葱やにんにくが忘れられない」、出エジプトの民は荒野の旅の途中で不平を洩らし、エジプトにいた頃を懐かしがりました。5「きゅうり」は私たちの知るものとは異なり、すいかのことだと思われます。すいかやメロンは美味しさに加えて、汗をかくと失われやすいカリウムに富み、暑いエジプトでよく食べられていたようです。5「玉葱やにんにく」も元気が出る食べ物として、ピラミッド建設の時代から好まれていました。
でもエジプトで民は奴隷だったのです。助けを求めうめき叫ぶ声を主が聞き届けてついに解放し、いま約束の地へと導き上ってくださっているのに(出3:7~)、民は美味しいものが食べられるのならば束縛の方がましだとつぶやいたのです。こうした民に、主は20「ついに…鼻から出るようになり、吐き気を催すほどになる」まで肉を食べることができると約束されました。やがてうずらが押し寄せて約束は実現しましたが、その貪欲のために大勢の民は倒れ、34「キブロト・ハタアワ(貪欲の墓)」に葬られたのでした(31節~)。
貪欲に陥るとき、人は何かの奴隷となることを自ら求めるのです。これは昔も今も異なりません。そのような世と私たちに、私が憐れみと犠牲をもって解放したのだから「奴隷の軛に二度とつながれてはな」らないと主は呼びかけておられます(ガラテヤ5:1、4:9)。私たちにも与えられた自由の尊さ重さを、しっかり心に刻みましょう。
2025年6月22日
- 聖霊降臨節第3主日礼拝 -
説教『神の作品』
説教者 小西 望牧師
聖書 イザヤ書46章1~4節 エフェソの信徒への手紙2章1~10節
讃美歌 224・227・472
ご不明な点は、お気軽に教会までお問い合わせください。