礼拝案内

日曜日 10:30~11:45 2階礼拝堂

礼拝では、讃美歌を歌い、聖書を読み、祈りをささげ、牧師の「説教」を聴くことが主たる内容です。「説教」と言いますが「お説教」ではなく、聖書をまんべんなく読むための「教会暦」に従った聖書の箇所から、牧師が「今の時代に生きる我々への神様からの語りかけだと理解するところ(メッセージ)」を話します。 そのメッセージの要旨を、まだ教会に来られたことのない方にも読んでいただいて、こんな話をしているのかと関心を持っていただけたらと思い、紹介させて頂きます。 この「説教要旨」をお読みになられて、天満教会に行ってみようと思ってくださると有難いです。ぜひご感想を携えて天満教会をお訪ねください。

 

説教要旨

 

2025年11月9日

- 降誕前第7主日礼拝 -

説教『ともし火を信頼して』

説教者  小西 望牧師

聖書 エレミヤ書1章9~13節 ルカによる福音書8章16~18節

 

暗闇に身を置く経験をされたことがあるでしょうか。私は研修で沖縄を訪れた際、現地の友人牧師に連れられて沖縄戦時に負傷兵の病院分室とされ600人以上がこもったアブチラガマ(南城市糸数)を訪れました。中に入りライトを消すと、横に誰がいるのかすらわからない真っ暗闇になりました。当時の人たちはそうした中に何カ月も隠れたことを思いました。また暗闇にあって不安が増す中、そこに灯される小さな炎や明かりは安心となり力となることも味わいました。

今日開いた福音書にも、小さいけれども私たちを力づけてくれるともし火のことが語られています。ここの16「ともし火」は18「どう聞くべきか」とあるように、11「神の言葉」のことです。

先月19・26日に開いたルカ6・7章とも重なりますが、私たちは日々どのようにみ言葉を聞いているでしょうか。前任地の仙台で東日本大震災発生直後の3月13日にまもった礼拝を思い起こします。断水・停電で交通網も断ち切られた中、なんとか集い得たメンバーでこれをまもりました。特別なことがなされた訳ではありませんでしたが、み言葉また聖餐のパンと杯に心が震えたことを思い起こします。

18「持っている人は更に与えられ…」とは、み言葉をわが身に受けとめこれを生きる者は真の意味で富む者となり、これを顧みない者は乏しくなるとの意味です。エレミヤは春を察知しその訪れを告げる11「アーモンドの枝」に必ず12「成し遂げ」られる主のみ旨を見て、旧約の歴史に名を刻む預言者に立てられていきました。

17「隠れているもので、あらわにならないものはなく…」と、16「ともし火」なるみ言葉はいくら押し止めようともそれを撥ね退けついにはすべてを照らすのだと主イエスは教えられました。希望のゴールを照らし出す16「ともし火」なるみ言葉を信頼し、力づけられて今を歩み行きたく願います。

 

 

2025年11月16日

- 降誕前第6主日礼拝 -

説教『わたしの母、わたしの兄弟』

説教者  小西 望牧師

聖書 創世記2章18~24節 ルカによる福音書8章19~21節

讃美歌 12・433・393

 

 

ご不明な点は、お気軽に教会までお問い合わせください。