礼拝案内

日曜日 10:30~11:45 2階礼拝堂

礼拝では、讃美歌を歌い、聖書を読み、祈りをささげ、牧師の「説教」を聴くことが主たる内容です。「説教」と言いますが「お説教」ではなく、聖書をまんべんなく読むための「教会暦」に従った聖書の箇所から、牧師が「今の時代に生きる我々への神様からの語りかけだと理解するところ(メッセージ)」を話します。 そのメッセージの要旨を、まだ教会に来られたことのない方にも読んでいただいて、こんな話をしているのかと関心を持っていただけたらと思い、紹介させて頂きます。 この「説教要旨」をお読みになられて、天満教会に行ってみようと思ってくださると有難いです。ぜひご感想を携えて天満教会をお訪ねください。

 

奨励要旨

 

2025年7月6日

- 聖霊降臨節第5主日礼拝 -

説教『あなたたちもぶどう園に行きなさい』

説教者  小西 望牧師

聖書 箴言29章25~26節 マタイによる福音書20章1~16節

 

主イエスの語られた譬え話です。収穫期の1「ぶどう園」では多くの労働者が必要です。一日1デナリオンの約束で、夜明けに人々が雇い入れられました。加えて9時、12時、午後3時、午後5時にも雇われた人がありました。さて日没、賃金が支払われる段となり8「最後に来た者」が呼ばれて1デナリオンを受けとったのです。8「最初に来た者」は訝しく思ったかもしれませんが、10「もっと多くもらえる…と思って」待ちました。ところが自分も受け取ったのは1デナリオンだったのです。

これは今日の私たちから見ても、おかしな待遇です。8「最初に来た者」のように不平を言いたくなります。しかし13「主人」は不当なことはしていない、15「私が善いので、あなたの眼が悪くなっている」のだ(田川建三訳)と言われるのです。

なぜ不当だと思うのか、それは比較の物差しを持ち込んでいるからです。この世はその物差しで計られ、私たちもそのような見方に染まって一喜一憂するのです。でも神の恵み・神のみ業・神の国はそのような物差しで計ることはできない、と主イエスは言われました。私たちが頂いている命・新たな一日一日・様々な恵み…、こうしたものに比較の物差しは役に立たない、と教えられているように思います。

併せ開いた箴言に25「人は恐怖の罠にかかる」とあります。「罠」とありますから、本来恐れる必要がないのに、ということです。26「人を裁く」、即ち人をまことに見定めるのは主であることを忘れ、この世の比較の物差しに囚われるときに人は不自由になります。が、25「主を信頼する者は高い所に置かれ」平和と確かさを得るのです。

1「ぶどう園」とは、神の祝福を受けたこの世界を表しています(イザヤ5章)。課題が山積し様々な思いが交錯するこの世界にも神の祝福は注がれている、そのことを見誤らずに4「あなたたちもぶどう園に行きなさい」と呼びかけられています。そう考えると、ぶどう園で長く働いた者こそ実は幸いなのかもしれません。

 

 

2025年7月13日

- 聖霊降臨節第6主日礼拝 -

説教『あなたを見い出される方』

説教者  小西 望牧師

聖書 サムエル記上9章14~21節 ローマの信徒への手紙11章33~36節

讃美歌 197・ハンドベル・542

 

 

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