礼拝案内
日曜日 10:30~11:45 2階礼拝堂
礼拝では、讃美歌を歌い、聖書を読み、祈りをささげ、牧師の「説教」を聴くことが主たる内容です。「説教」と言いますが「お説教」ではなく、聖書をまんべんなく読むための「教会暦」に従った聖書の箇所から、牧師が「今の時代に生きる我々への神様からの語りかけだと理解するところ(メッセージ)」を話します。 そのメッセージの要旨を、まだ教会に来られたことのない方にも読んでいただいて、こんな話をしているのかと関心を持っていただけたらと思い、紹介させて頂きます。 この「説教要旨」をお読みになられて、天満教会に行ってみようと思ってくださると有難いです。ぜひご感想を携えて天満教会をお訪ねください。
説 教 要 旨
2026年10月11日
ー 聖霊降臨節第21主日 ー
説教「苛立たず 主に従って 生きて行こ」
説教者 春名 康範 牧師
聖書 詩編 37章1~24節
今朝の聖書の詩編37篇には拝読した24節までに「主」という単語が21回、25節~40節迄に20回、合計41回出てきます。「主」という単語はヤーウェでそのスペルは動詞の3人称未来形でhe will beという意味です。出エジプト記3:14には「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われたと書かれています。エフエー・アシェル・エフエーで英語に直訳するとI am who I amです。「俺は俺」とも訳せますが、私は自分の存在を自分で有らしめている者だという意味です。そのエフエーを3人称にするとヤーウェになります。漢字では「主」と表現されていますが、王の上に点で王よりも上の支配の力を表現しています。この「『主』に信頼し『善』を行え」(3節)が37篇全体のテーマです。「善」は神様に羊を捧げて礼拝をし、隣人と言葉を交わして共に生きよという意味です。この詩は2節毎にヘブライ語22のアルファベットが用いられた綺麗な詩です。
私達の人生は思い通りに進んだり、願い通りに進むことばかりではなく、病気になったり、事故に遭ったり、災難に遭い、何故こんな苦しみを味わわなければならないのか、神様はおられるのかと思うような目に遭うこともあります。しかし、後で振り返って見ると、その苦しみや嫌な出来事があったので今の自分があると思わされることがあります。
「クマはなぜ人里に出てきたのか」永幡嘉之(ながはた・よしゆき)著(旬報社出版)という本が目に留まって、読みました。テレビや新聞で熊が町中に出没し怪我をさせられたり、柿の木が荒らされたりで大変なことが多発しているというので、クマッタことだと思っていました。人身事故は秋田県で62件、岩手県で46件でした。気候の変動の影響か、ブナとドングリが実を結ばなくてえさ不足なのにクマの個体数が増えて、えさ不足から柿の実や栗の実を求めて人里に出没するようになったのではないかと書いています。
昨年ディトリッヒ・ボンへッファーの映画を観ました。1944年7月16日に「神は、僕たちが神なしに生活を処理できる者として生きなければならないという事を、僕たちに知らしめたもう。神の前で、神と共に僕たちは神なしで生きる」と1944年7月16日に獄中の友達に書き送ったことが「この人を見よ」に記録されています。神様のせいにしないで、神様の導きを信じて共に生きる世界造りに励み処刑されました。私達も共に生きる世界造りに励みましよう。

