礼拝案内

日曜日 10:30~11:45 2階礼拝堂

礼拝では、讃美歌を歌い、聖書を読み、祈りをささげ、牧師の「説教」を聴くことが主たる内容です。「説教」と言いますが「お説教」ではなく、聖書をまんべんなく読むための「教会暦」に従った聖書の箇所から、牧師が「今の時代に生きる我々への神様からの語りかけだと理解するところ(メッセージ)」を話します。 そのメッセージの要旨を、まだ教会に来られたことのない方にも読んでいただいて、こんな話をしているのかと関心を持っていただけたらと思い、紹介させて頂きます。 この「説教要旨」をお読みになられて、天満教会に行ってみようと思ってくださると有難いです。ぜひご感想を携えて天満教会をお訪ねください。

 

奨励要旨

 

2025年6月8日

- 聖霊降臨節第1主日礼拝 / ペンテコステ -

説教『聖霊の賜物』

説教者  小西 望牧師

聖書 使徒言行録2章1~4節 列王記上19章11~13節 コリントの信徒への手紙一12章1~6節

 

「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、…家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」(使徒2:1~4)と、聖霊降臨はたいへんパワフルでダイナミックな出来事だったと記されています。事実、主イエスの十字架に際して逃げ去り、部屋に閉じこもっていた弟子たちは、ここから大胆な宣教へと踏み出したのでした。

でも信仰者に必ずしも、そうした劇的な体験があるわけではありません。そうした者は聖霊を受けていない、ということになるのでしょうか。

そうではないでしょう。今日開いた新約の箇所に、聖霊の第一の1「賜物」とは信じる者を3「イエスは主である」との告白へと導くことだと述べられています。この告白は私たちも連なるシンプルなものであると共に、深さ広さを含んでいます。それは自己中心を排してみ旨をわが中心に迎えようということであり、世の諸力を2「偶像」としないとの決断を意味するからです。そして、この神のシンプルでかつ断固たる働きかけは信じる者を捉え、共に生きるための多様な働きへと押し出していきます(7節~)。

先々週に続いて、偶像に仕える者たちとの戦いの中にあった預言者エリヤを描く列王記上19章を併せ開きました。前章ではバアルの預言者450人を相手に華々しい勝利を収めたのに一体何が起こったのかは判然としませんが、このとき彼は小さな一人の人間として無力感に襲われていました。主はそうしたエリヤを6「パン菓子と水」で力づけて8「神の山ホレブ」に導き、ご自身を顕わされました。但し、そのあり様はいつもと異なっていました。11「激しい風」11「地震」12「火」という主の顕現のしるしとされることの中に、11・12・13「主はおられなかった」のです。むしろその後の12「静かにささやく声」を通して、ご自身を顕わされたのでした。

思えば、主イエスはまさに12「静かにささやく声」としてこの世界に来られ(イザヤ42:1~)、小さなものへの幸いを告げられました(マタイ5:1~12)。その主は聖霊として今も生きて働かれ、信じる者たちを捉え、活かし、歩ませています。

 

 

2025年6月15日

- 聖霊降臨節第2主日礼拝 / 子どもの日・花の日 -

説教『きゅうりやメロンが忘れられない』

説教者  小西 望牧師

聖書 民数記11章4~9節

讃美歌 171・425・486

 

 

ご不明な点は、お気軽に教会までお問い合わせください。